あきらのブログ

三十路おひとりさまが日々に抗いながら自分らしく生きる方法を模索しています。

FP2級合格しました。

3/8はFP2級の合格発表でした。

実技がギリギリだったのですごく不安だったのですが、学科・実技ともに合格でした。

本当にほっとした、嬉しかった。

何度も心折れそうになったけどあきらめなくてよかったです。

 

この試験ひねった問題とか意地悪な問題は出ないけど(私個人の感想です)、範囲が結構広いのと根本的な内容の理解が大切な試験だと思いました。

前回はそれに耐えられなくて途中で勉強をやめてしまったけど、今回はあきらめずに合格を手にすることができたので、自分の成長を実感できた。

これが一番うれしいことかもしれない。

挑戦してよかった、本当に。

合格証と得点の詳細はこれから届くのでそれも楽しみです。

不幸コンテンツに成り下がってはならない

職場でよく話す人がいる。


その人は悪い人ではない。

明るくておしゃれな人だ。
人懐こく、私にも心を開いて話してくれる。
だけどちょっと付き合いを考えたほうがいいか、と思った出来事があった。


仮にその人をAさんとする。


Aさんは少し他責思考なところがあり、現状に対する愚痴の話が多い。
給料が低い、だから仕事のやる気が起きない、他のところはもっと給料が高いのに…等。
私はそれに対し少々うんざりしつつ反論もせずうんうんと聞くばかりだ。
同調癖のある私は「自分も一人だし将来が不安だ、どうしたらいいのか…」とか、
「転職したほうがいいのかな」とか、
ついポロリとこぼしてしまった。


しまったと思った。


他責思考で愚痴の多い人には自分の弱みは見せてはいけないのに。
なぜなら、今までの経験上話してしまったことは高確率で広まるし、相手を安心させて満足させるだけだからだ。
現にAさんは「○○さんがこう言ってた」「△△さんは…」など人の話をよくするので、
私のこぼしたことも他人に話される可能性がある。


またAさんにとって私は愚痴吐きにもってこいだと思う。
身バレするのでぼかす形になるけれど、Aさんは私より色々なものを「持っている」人だ。
私は「持っていない」人だ。
だからAさんにとって私という存在は心理的に優位に立てるのだと思う。
卑屈だと思うし、被害者意識が強いかもしれないけどそう確信している。


愚痴をよく吐く人は吐く相手を選んでいる。


Aさんは自身の現状に不満を持ってはいるが、
私という自分より劣る相手になら不満をさらけ出せるだろう。
自分(Aさん)の境遇はかわいそうだけど、この人(私)はもっとかわいそう。自分より下だから安心する。

 

そういう人に対し弱みを見せるのは相手を喜ばせるだけ。安心させるだけ。

 

だからAさんに愚痴を言い返してしまった後は本当に後悔した。
自分を張り倒したかった。


弱音を吐く相手は選べ。
弱いところを見せていいのは自分より目上の師に値するような人か、家族か大親友だけだと思った。


傷の舐めあいは何も生まないし自分の価値を落とすだけなのに…してしまった自分が許せない。


Aさんに「他の人には言わないでね」と言ったけど、守られるかはわからない。
前述のとおり他人の話をよくする人だし、人の口に戸は立てられない。
言ってしまった自分が悪い。


ただ、もう二度と他人に愚痴は吐くまいと決めた。


Aさんとも仕事以外ではあまり関わらないようにしようと思う。
仕事があるからにこやかには接するけど、もう自分のことは何も語るまい。


前職の時もそうだったけど、感情のゴミ捨て場にされることが多いんだよな。
私自身そういう人を呼び寄せてしまうことがあるな。
基本反論しないし、芋っぽいオーラが出ているんだろうな。
直さないといけないなと思う。


よく自分の弱いところは人に見せたほうがいい!って意見が多いけど、
私は見せてもいいけど相手はよく選ぶべきだと思う。


今回のことで本当に思った。

「シンドラーのリスト」を観た

アマプラで「シンドラーのリスト」を観ました。
一度は観てみなければと思っていたので、観ることができてよかったです。

シンドラーは実在したドイツ人実業家。
当初は金もうけと女性にしか興味がなく、ユダヤ人労働者は安く使える労力としてしか見ていないように描写されていましたが、ドイツ軍により罪のないユダヤ人たちが大勢命を奪われたり、虐げられている状況を目撃していくにつれ、ユダヤ人を保護しようとするようになります。
ユダヤ人たちを自分の経営する工場に雇い入れて自分のもとに置くことによって。
経済的に損失してもいとわない人物になっていきます。

またシンドラーと対照的に、ゲートという残忍なドイツ人将校も登場します。
ちなみにシンドラー同様実在した人物。
この人物が本当に悪い奴で、ユダヤ人の命を特に理由もなく奪います。


私は主人公のシンドラーよりも、ゲートのほうが強く印象に残っているのです。

差別の心を持っている者が、絶対的な権力を持てる・自分の行為を正当化できる環境に置かれたら、ああなってしまう人間は多いのではないか?と考えさせられたからです。
現に今も世界で戦争が起こっていて、正当化の名のもとに罪もない民間人の命が奪われているので。

片腕がないからとか、通りすがっただけとか、本当に意味のない理由でユダヤ人を殺すのですが、特に残虐性を印象づけたと感じたのが、ユダヤ人の女性現場監督者を射殺するシーンでした。

ユダヤ人の女性現場監督者が、「このまま工事を続けると建物がいずれ崩壊するからやり直すべきである」と主張しましたが、真っ当な主張にも関わらず歯向かってきたと判断したのか、その女性をその場で即射殺してしまいました。
「私を殺して何になるのか」問う女性に対し「何にもならない」とあっさり言い捨てる。
しかも殺した後にその女性の言ったとおりに工事をやりなおすように部下に命令を出していました。
言う通りにやりなおすなら殺す必要無かったよね??と、汚い言葉ですけど非常に胸糞悪くなりました。
この男(およびナチス)はユダヤ人たちの命をその程度にしか見ていない残虐な人物だと、視聴者に印象付ける重要なシーンでした。

 

またある時は、朝自分の屋敷のバルコニーから目についたユダヤ人労働者を撃ち殺す。
その行為をベッドを共にした女性はなじるのですが、数秒後に何もなかったように「コーヒーが飲みたい」と言い放つシーンがありました。
この女性も怖いなと思いました。
女性なので基本殺しの場面を見るのは嫌いなんでしょう。
それでも数秒経てば何もなかったようにふるまう。何も罪のない人が今命を奪われたのに。
恐らく日常茶飯事だったんだろうなと思います。
まあこの男とベッドを共にする相手なので、残虐性も似たり寄ったりなのかもしれませんが。

この映画が他の映画と違うな、と思うのはシンドラーもゲートも完全な悪・善として描かれていないところです。

シンドラーもよくありがちな「ユダヤ人達はとてもかわいそうなんだ!僕が救ってあげなければ…!」「ユダヤ人を殺すことはもうやめるんだ!」みたいなことはわかりやすい言わないし態度にも出しません。
というかそんなことしたらシンドラー事態の命も危ないし。
ゲートほど残酷ではないけど、シンドラーも最初のほうはユダヤ人を金稼ぎのための労働力として一線を引き、ゲートはじめ軍人たちとも表面上社交的に交流しています。

ゲートもシンドラーに「本当に力を持つものは弱者に対し寛大にもなれる」と言われ、それを彼なりに実行しようとする描写がありました。
結局「許す」ことよりもゲートの内側の異常な残虐性や加虐性が上回り殺してしまうのですが。


すごく他人事みたいなのであまり好きな言葉ではないのですが、
今の時代に日本に生まれてよかったなと思いました。それが正直見終わって一番すぐ思ったこと。
物価高で生活は苦しいけど、自由を奪われて殺されたりしませんからね。

とてもよい映画でしたが、辛いシーンが多いので2回目はもう観ないと思います。

 

 

心のバッファを設ける

この冬初めて都心で大雪になりましたね…。

私は少し早めに退勤して無事帰宅できましたが、一番心配なのは明日の交通機関だったりします。混み合うだろうな~と思うと億劫です。

皆さんもお気をつけください。

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ここ最近の自分は余裕がなく、それが態度に表れてしまっていたように思います。

試験のこと、終わってからのこと、自分の仕事・待遇、将来のこと、老いていく親のこと…そんなことばかり考えて、常に自分のことで頭がいっぱいで。

他人と向き合う気力がありませんでした。

でも社会からしたら、他人からしたら、私の事情なんて関係ないわけで。

常に自分のことで頭がいっぱいで他人への配慮が希薄になっている人間なんて半人前なわけで。

 

仕事のスケジュール管理では、よく「スケジュールに余裕(バッファ)を持たせる」といいというのは鉄板ですよね。

ぎちぎちに予定を詰め込んでいると、想定外のことが起こったとき時間内に対処できなくなってしまう。

だからすこし空き時間をはさんだり、予定時間を多めにとってみたりして対処しますよね。

それと同じで私自身も、自分のことに割いている時間を少し減らして、バッファを持たないとな。

減らした分をもっと他人のために使わないとな、と反省しました。

 

そのためにはやってみたいことや実現させたいこと・やるべきこと・不安・悩みが整理されておらず、頭の中でごっちゃになっていることを、ちゃんと紙に書いて整理する、整理しやるべきことが決まったら手帳などのスケジュール表に落とし込み、粛々と実行する。

そうすれば少し自分の中に「容量」が生まれるはずだ。それを人や社会に使えばいい。

 

さっそくノートを開いてみよう。

パソコンを買い替えました

以前使っていたパソコンが古くなったので、パソコンを買い替えました。

メーカはLenovoです、「ThinkPad L 15 Gen3」にしました。

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officeソフト付きで、スペックはざっとインテルのCorei7・メモリ16GB・512GB SSDていう感じです、十分ですね。

以前のPCはCorei3で4GBしかなくて、重たいセキュリティソフトを入れていたので、結構早い段階で重くなって使用がストレスでした。

 

今セットアップが終わって新しいパソコンで記事を書いているのですけど、いや~快適だなあ。スペックが全然違いますからね。

パソコンでやりたいことたくさんあるんですよ。

Excel関数・マクロのスキルアップとか、サーバーを自分で借りてブログをやってみるとか。

 

家族が「パソコンなんてもったいない」みたいなことを言っていて。

「OSが定期的にバージョンアップするし、数年たったら買い替えないといけない」とのことみたいですが、確かにこのパソコンもずーっと使えるわけではないし、いつかは買い替えないといけない日が来ます。

でも私は将来的には在宅で働きたいと思っているので、可能な限り家でもパソコンに触れる機会を作っておきたい。

今の職場もExcelスキルの高い人ばかりだし、家でも勉強がしたい。

だからもったいないとは全然思わないな。必要な投資だと思っています。

 

次は前のパソコンの処分をしないといけない、これがまた大変そうだな・・・。

1/28(日)にFP2級試験を受けました

FP2級を先週の日曜日に受けてきました。

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FPの試験は学科と実技の2つがあり、両方6割以上取れれば晴れて合格ということになります。

結論からいうと、自己採点の結果学科試験は余裕を持って8割取れました!ただ実技の方は合格圏内ではありますが、かなりギリギリ。実技は問題ごとの配点が不明なので、学科のように一問=一点という単純な自己採点ができません。

なので実技に関しては3月の正式な発表を見るまでは分かりません。

ぎりぎりの点数だと、合格発表まで怯えて過ごさないといけないから嫌ですね。

もし学科だけ合格して実技が落ちていた場合は、実技だけ受け直す必要があります。

腹は括っていますので、どんな結果でもどんとこんかいという感じです。

とりあえず震えて結果を待ちます。

 

試験直前は空いている時間はすべて勉強につぎこんでいました。正月もずっと勉強していたし、前日は10時には就寝、朝4時に起床してラストスパート、7時半に家を出るまでずっとずっと勉強していましたね。

 

学科を受けた所感としては、正直試験中は手ごたえがなく「だめだ終わった〜!」と内心思いました。でも自己採点したら過去1番点数が取れていたんですよね。

過去問演習の他、模擬試験を2回くらいやったのですが、6割後半から7割くらいしか取れず、テスト直前まで不安でいっぱいでしたが…。

そもそも勉強したばかりの時は4割くらいしか出来ていなかったし、自分随分頑張ったんだなと思いました。

ただ学科に時間をかけすぎて実技にあまり時間を割けなかったのは猛省です。

「実技は学科より簡単」とか「学科をしっかりやっていれば実技も取れる!」みたいな周りの声を鵜呑みにしてしまいました。

実技もしっかり対策しないといけなかったな。

ぎりぎりだから本当にどうなるか…。

手ごたえ本当なかったです。逆になんで6割も取れてるんだ?って感じ。体感的には50点代くらいなんですが。

もし合格していたら勉強方法とかも書いてみますね。

とりあえずお疲れ自分。勉強した内容忘れないように何か本でも読もうかな。

FPの試験申し込んじゃった

これでもう後戻りはできない…。

 

2024年1月28日に実施されるFP2級の試験に申し込みました。

10月後半くらいから勉強を始め、問題集を2周まわし、今は過去問に取り組み始めたところです。

勉強してたといっても、モチベが下がって一週間くらいサボったり、今日は疲れたからやーめた、なんてこともありきっちりやった感じはありません。

範囲も広いし3級と比べると難易度もグッと上がって一筋縄ではいきません。

だから本当に何回も心が折れそうになったし(現在進行形)、まだ申し込んでないのだからもうやめようか、そうしたらやりたかったこと出来るし…と思うこともありました。

でもやめたら絶対後悔する。きっと試験日当日に「やっぱり頑張って受ければ良かった。申し込めばよかった」とか思うに決まってます。

1月28日なんてあっという間です。もう2ヶ月切ってます。そのたったの2ヶ月近く頑張れないなら、あと何十年も続く人生を乗り越えていくことすら出来ないのではないかと。

頑張るときに頑張れない、ちょっと辛くなると諦めてしまう自分、怠惰な人生。

そうなるのは嫌です。

結果がどうであれ、たとえ残念な結果になったとしても、課題を自分に与えてやり切った誇りのような気持ちだけは残るでしょう。

 

ということで、もう申し込んでしまったので粛々と勉強するしかないです。