あきらのブログ

三十路おひとりさまが日々に抗いながら自分らしく生きる方法を模索しています。

「シンドラーのリスト」を観た

アマプラで「シンドラーのリスト」を観ました。
一度は観てみなければと思っていたので、観ることができてよかったです。

シンドラーは実在したドイツ人実業家。
当初は金もうけと女性にしか興味がなく、ユダヤ人労働者は安く使える労力としてしか見ていないように描写されていましたが、ドイツ軍により罪のないユダヤ人たちが大勢命を奪われたり、虐げられている状況を目撃していくにつれ、ユダヤ人を保護しようとするようになります。
ユダヤ人たちを自分の経営する工場に雇い入れて自分のもとに置くことによって。
経済的に損失してもいとわない人物になっていきます。

またシンドラーと対照的に、ゲートという残忍なドイツ人将校も登場します。
ちなみにシンドラー同様実在した人物。
この人物が本当に悪い奴で、ユダヤ人の命を特に理由もなく奪います。


私は主人公のシンドラーよりも、ゲートのほうが強く印象に残っているのです。

差別の心を持っている者が、絶対的な権力を持てる・自分の行為を正当化できる環境に置かれたら、ああなってしまう人間は多いのではないか?と考えさせられたからです。
現に今も世界で戦争が起こっていて、正当化の名のもとに罪もない民間人の命が奪われているので。

片腕がないからとか、通りすがっただけとか、本当に意味のない理由でユダヤ人を殺すのですが、特に残虐性を印象づけたと感じたのが、ユダヤ人の女性現場監督者を射殺するシーンでした。

ユダヤ人の女性現場監督者が、「このまま工事を続けると建物がいずれ崩壊するからやり直すべきである」と主張しましたが、真っ当な主張にも関わらず歯向かってきたと判断したのか、その女性をその場で即射殺してしまいました。
「私を殺して何になるのか」問う女性に対し「何にもならない」とあっさり言い捨てる。
しかも殺した後にその女性の言ったとおりに工事をやりなおすように部下に命令を出していました。
言う通りにやりなおすなら殺す必要無かったよね??と、汚い言葉ですけど非常に胸糞悪くなりました。
この男(およびナチス)はユダヤ人たちの命をその程度にしか見ていない残虐な人物だと、視聴者に印象付ける重要なシーンでした。

 

またある時は、朝自分の屋敷のバルコニーから目についたユダヤ人労働者を撃ち殺す。
その行為をベッドを共にした女性はなじるのですが、数秒後に何もなかったように「コーヒーが飲みたい」と言い放つシーンがありました。
この女性も怖いなと思いました。
女性なので基本殺しの場面を見るのは嫌いなんでしょう。
それでも数秒経てば何もなかったようにふるまう。何も罪のない人が今命を奪われたのに。
恐らく日常茶飯事だったんだろうなと思います。
まあこの男とベッドを共にする相手なので、残虐性も似たり寄ったりなのかもしれませんが。

この映画が他の映画と違うな、と思うのはシンドラーもゲートも完全な悪・善として描かれていないところです。

シンドラーもよくありがちな「ユダヤ人達はとてもかわいそうなんだ!僕が救ってあげなければ…!」「ユダヤ人を殺すことはもうやめるんだ!」みたいなことはわかりやすい言わないし態度にも出しません。
というかそんなことしたらシンドラー事態の命も危ないし。
ゲートほど残酷ではないけど、シンドラーも最初のほうはユダヤ人を金稼ぎのための労働力として一線を引き、ゲートはじめ軍人たちとも表面上社交的に交流しています。

ゲートもシンドラーに「本当に力を持つものは弱者に対し寛大にもなれる」と言われ、それを彼なりに実行しようとする描写がありました。
結局「許す」ことよりもゲートの内側の異常な残虐性や加虐性が上回り殺してしまうのですが。


すごく他人事みたいなのであまり好きな言葉ではないのですが、
今の時代に日本に生まれてよかったなと思いました。それが正直見終わって一番すぐ思ったこと。
物価高で生活は苦しいけど、自由を奪われて殺されたりしませんからね。

とてもよい映画でしたが、辛いシーンが多いので2回目はもう観ないと思います。