あきらのブログ

三十路おひとりさまが日々に抗いながら自分らしく生きる方法を模索しています。

不幸コンテンツに成り下がってはならない

職場でよく話す人がいる。


その人は悪い人ではない。

明るくておしゃれな人だ。
人懐こく、私にも心を開いて話してくれる。
だけどちょっと付き合いを考えたほうがいいか、と思った出来事があった。


仮にその人をAさんとする。


Aさんは少し他責思考なところがあり、現状に対する愚痴の話が多い。
給料が低い、だから仕事のやる気が起きない、他のところはもっと給料が高いのに…等。
私はそれに対し少々うんざりしつつ反論もせずうんうんと聞くばかりだ。
同調癖のある私は「自分も一人だし将来が不安だ、どうしたらいいのか…」とか、
「転職したほうがいいのかな」とか、
ついポロリとこぼしてしまった。


しまったと思った。


他責思考で愚痴の多い人には自分の弱みは見せてはいけないのに。
なぜなら、今までの経験上話してしまったことは高確率で広まるし、相手を安心させて満足させるだけだからだ。
現にAさんは「○○さんがこう言ってた」「△△さんは…」など人の話をよくするので、
私のこぼしたことも他人に話される可能性がある。


またAさんにとって私は愚痴吐きにもってこいだと思う。
身バレするのでぼかす形になるけれど、Aさんは私より色々なものを「持っている」人だ。
私は「持っていない」人だ。
だからAさんにとって私という存在は心理的に優位に立てるのだと思う。
卑屈だと思うし、被害者意識が強いかもしれないけどそう確信している。


愚痴をよく吐く人は吐く相手を選んでいる。


Aさんは自身の現状に不満を持ってはいるが、
私という自分より劣る相手になら不満をさらけ出せるだろう。
自分(Aさん)の境遇はかわいそうだけど、この人(私)はもっとかわいそう。自分より下だから安心する。

 

そういう人に対し弱みを見せるのは相手を喜ばせるだけ。安心させるだけ。

 

だからAさんに愚痴を言い返してしまった後は本当に後悔した。
自分を張り倒したかった。


弱音を吐く相手は選べ。
弱いところを見せていいのは自分より目上の師に値するような人か、家族か大親友だけだと思った。


傷の舐めあいは何も生まないし自分の価値を落とすだけなのに…してしまった自分が許せない。


Aさんに「他の人には言わないでね」と言ったけど、守られるかはわからない。
前述のとおり他人の話をよくする人だし、人の口に戸は立てられない。
言ってしまった自分が悪い。


ただ、もう二度と他人に愚痴は吐くまいと決めた。


Aさんとも仕事以外ではあまり関わらないようにしようと思う。
仕事があるからにこやかには接するけど、もう自分のことは何も語るまい。


前職の時もそうだったけど、感情のゴミ捨て場にされることが多いんだよな。
私自身そういう人を呼び寄せてしまうことがあるな。
基本反論しないし、芋っぽいオーラが出ているんだろうな。
直さないといけないなと思う。


よく自分の弱いところは人に見せたほうがいい!って意見が多いけど、
私は見せてもいいけど相手はよく選ぶべきだと思う。


今回のことで本当に思った。